平成29年度第2回被災地訪問のご報告

 法友会東日本大震災等復興支援特別委員会は,平成29年11月10日(金)~11日(土)の日程で,被災地訪問に行って参りましたので,ご報告致します。平成24年12月の第1回目の訪問から数え,今回が16回目の訪問となります。主な行き先は,宮城県の南三陸町と女川町で,計17名の方にご参加頂きました。

 まず1日目,午前中に東京駅から新幹線で仙台駅に向かい,駅からは貸し切りバスで南三陸町の「さんさん商店街」に向かいました。同商店街は,震災後の2012年2月25日から仮設商店街としてオープンしていましたが,2017年3月3日に場所を移して,かつての町の中心地に8.3m程かさ上げした高台の造成地に本設としてオープンしたばかりで,平日にもかかわらず大勢の客で賑わっていました。昼食は,同商店街内の「創菜旬魚はしもと」にて,南三陸町のブランドグルメとなっている「キラキラ丼」(季節によって中身が異なり,今回は「キラキラいくら丼」)を堪能しました。

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 また,同商店街にて,過去の被災地訪問でもお世話になった宿泊先の南三陸ホテル観洋の職員の方と合流し,その方自身も被災者のお一人であるため,その後の行程につきアテンド役として様々なお話を伺いながら同行して頂くこととなりました。

 午後には,まず南三陸町防災対策庁舎跡に向かいました。同庁舎の屋上は高さ約12mであり,津波は当初6mと予想されたため,多くの方が庁舎に留まったところ,実際には15.5mの津波が来襲したため多くの方が犠牲になったという話や,同庁舎の職員が津波来襲の直前まで防災無線放送で住民に避難を呼びかけていたため逃げ遅れ殉職されたという話などから,津波被害の象徴的な場所の一つとして現在も解体されず震災遺構として残っています。ホテル観洋の職員の方のお話では,最近は周囲のかさ上げが進んだことで庁舎が見えづらくなり,訪れた方から場所を尋ねられるようになったなど震災からの時の経過を感じさせるエピソードを伺ったのも印象的でした。

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 その後,高台に移転・新築されて2017年9月3日に開庁したばかりの南三陸町役場にて,佐藤仁町長との意見交換会の場を設けさせて頂きました。佐藤町長は,震災前から現在に至るまで町長に再任され続けており,上記防災庁舎の屋上にて生き残られた数少ない被災者のお一人でもあるため,南三陸町のこれまでの復興と今後の課題等について,多くの貴重なお話を伺うことができました。
 なお,南三陸町役場には,当委員会の過去の被災地訪問の経験を基に本年4月に発行するに至った『所有者不明の土地取得の手引』を贈呈させて頂きました。

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 その後はホテル観洋に向かい,ホテル内の大広間にて,先程の職員の方を含めた4名の南三陸町の被災者の住民の方々と,各テーブルにグループ毎に分かれてお茶菓子を囲んで個別にお話を伺わせて頂きました。また,ここからは,過去の被災地訪問で何度もお世話になっている陸前高田の語り部の方にも同席して頂くこととなり,その方からは,災害公営住宅において一定収入以上ある世帯では入居3年を過ぎると家賃が引き上げられてしまう問題が生じ始めているという問題提起を頂きました。

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 ホテル観洋での夕食には,お昼にお話を伺った上記佐藤町長にもお越し頂き,懇親を深めることができました。その後は,ホテル内での二次会,三次会と南三陸での夜を過ごしました。

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 2日目の午前はまず,今は公民館となっている南三陸町立戸倉中学校に訪れました。海を展望できる高台に位置しているのにグラウンドに避難していた多くの生徒や教諭が犠牲となった場所であり,「津波到達地点約22.6m」という掲示と見晴らしの良い景色が隣り合わせになっている光景を見て,改めて当時の津波の高さや恐怖を感じました。

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 その後は,「名勝 神割崎」に立ち寄った後,石巻市立大川小学校に伺い,大川伝承の会・語り部の方に,被災者親族以外立入禁止である半壊状態の校舎内部まで案内して頂き,多くの貴重なお話を頂戴致しました。校舎内は水圧により天井から床まであらゆる所が原形をとどめておらず,また,風化しつつも当時のままの本棚の書籍や津波来襲時の時間のまま止まっている時計等が生々しく残っており,見るだけで心を打たれました。
 また,大川小学校では,津波により70名以上の児童と10名の教職員が死亡し,遺族が石巻市と宮城県に対して損害賠償請求訴訟を提起しており,現在控訴審に係属中です。仙台地裁の一審判決では,市の広報車が高台避難を呼びかけていた15時30分頃の時点で,「教員が,児童を裏山に避難させていれば津波の被害に遭わなくてすんだにもかかわらず,避難場所として適切でない近所の三角地帯を目指して避難しようとしたことにより津波に呑まれ児童及び教員らが死亡した。」と認定されているところ,ご遺族のお一人でもある語り部の方のご案内の下,実際に裏山にも登らせて頂き,裏山への避難の容易さ等を体感することができ,ご遺族の無念を実感致しました。

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 午後は,女川町に移動し,2015年12月にオープンしたばかりの商業施設「シーパルピア女川」内にある「まぐろ屋明神丸」にて極上のミナミマグロを使用した三食丼を頂きました。

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 その後は,過去の被災地訪問でもお話を伺っている特定非営利活動法人アスヘノキボウとの意見交換会を実施させて頂き,近時の復興支援活動等についてお話を伺いました。アスヘノキボウは,被災事業者の事業再建支援や新規事業立ち上げ支援,まちづくり計画作成支援等を通して地域活性,まちづくり支援を行っている組織です。まちづくりには20年以上かかるため30~40代の若手が中心となって復興させるべきという視点で,現在も,IUターンの起業家等と交流して頂くプログラムや女川への1ヶ月間のお試し移住プログラムを実施したり,SNSを活用して広報したりするなど,若者ならではのご活躍をされています。

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 意見交換会の後はその足で,シーパルピア女川内のアスヘノキボウも事業立ち上げに関わられた店舗や,シーパルピアに隣接し,2016年12月に開業したばかりの地元市場ハマテラスもご案内して頂きました。若者の視点での復興事業ということもあり,全体がオシャレで活気溢れる街並みとなっていたのが印象的でした。

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 最後は,バスで仙台駅まで移動し,「蔵の荘総本店」にて宮城の冬の定番郷土料理である「せり鍋」を堪能し,帰路に着きました。

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 次回は,2018年3月2日(金)~3日(土)に本年度第3回目の被災地訪問を予定しております。毎年定点観測をしている陸前高田に今回も伺いますが,専門知識がないと参加できないといったことはもちろんなく,若手には費用面の特典等もありますので,初参加の方を始めとして皆さま是非奮ってご参加下さい。