「平成28年度第2回被災地訪問体験記」

今年度,11部の幹事長を拝命した関係も有り,震災復興支援委員会の委員となった。妻が福島出身と言うこと,弁護士としての仕事や母方の祖父の仕事の関係で,被災する前の気仙沼を数回訪問したことなどの理由から,今更ながら被災地を訪れたいと考えていた。このようなわたくしが初めて参加した平成28年度第2回被災地訪問(平成28年12月4日,5日)について,御報告をしたい。

震災復興支援委員会 津波地震PT 11部55期 入澤武久

~初日(平成28年12月4日日曜日)~

まず,出発は12月4日午前7時40分東京駅発のはやぶさ101号(盛岡行)であった。出発時間が早いと思われた方もいらっしゃるかもしれないが,盛りだくさんな行程をこなすには早立ちが必要なのである。「お江戸日本橋七つ立ち」よりも遅い時間でもあり,わたくしのように釣りとゴルフを趣味としている者には,苦にならない出発時間であった。

下車駅は,新花巻駅。花巻と言えば,宮澤賢治,花巻東高校の菊池雄星と大谷翔平,遠野(「おしら堂」は本当に怖い・・・)というイメージがあるが,最初に訪問する事になっていたのは,岩手県釜石市に属する鵜住居(ウノスマイ)町であった。事前の予習で,鵜住居町は3・11の際に「釜石の悲劇」と「釜石の奇跡」と呼ばれる事件が起こった町であること,2018年度にラグビーのワールドカップ日本大会の会場となるスタジアムが建設される予定の町であることくらいしか知らなかった。また,町名からして,海が近いのであろうこと(正確には,町の一部が大槌湾に接しており,町の北部を流れる鵜住居川が大槌湾に流入している)も想像していた。

釜石市_語り部ツアー
新花巻駅到着後は,貸し切りの大型バスで沿岸部にある鵜住居まで移動した。昼食は,バス車内でお弁当を頂いたが,地元にコネクションのある若手の先生が,お弁当屋さんに特別オーダーを掛けてくれたので,地元産の食材がたくさん入った豪華弁当であった。特に,鮭の塩焼きの外連味のない大きさに,東北地方感がにじみ出ていた。

2時間弱のバス移動後,鵜住居にて3名の語り部によるお話を伺った。この語り部ツアーは,「未曾有」といわれる大震災を実体験された方からお話が聞けるということで大変興味を持っていた。しかし,その体験された中身の凄まじさを肌で感じるなかで,自分が同じ重すぎる体験をして生き残ったとしたら,今,何をやっているだろう,何ができるのだろうということを考えた。また,震災復興の一環と言われているワールドカップの開催について,地元民が,外国人を含めた来場者の受け入れ体制の不備や設備の高額な維持費負担などを理由に,全く歓迎していないように思われたのには驚いた。活字にはならない情報が沢山あることを再認した。

大槌町その後,4グループに分かれ,復興公営住宅等を訪問した。この復興公営住宅訪問は,従来の仮設住宅の訪問などとは異なり,被災地訪問において今回が初めての試みであったとのことである。わたくしがお邪魔したのは,カトリック釜石教会であった。集会場のようなところで世間話しなどを,ということで最初は戸惑ったが,一級建築士の資格をお持ちの住民がいて,建物の瑕疵などで話が盛り上がったと思う(あくまでも主観的判断ですが。)。その他,同じチームの若手の先生は,住民の方との将棋で盛り上がり,「明日も来てくれ」とのリクエストを頂戴していた。法律論などではなく,このようなコミュニケーションでも,入居されている方々の気分転換になることを知った。

その後,宵闇が迫る町を釜石情報交流センターまで徒歩で移動し,釜石ひまわり基金法律事務所の加藤静香弁護士の講演を聴いた。

加藤静香弁護士講演

講演終了後,宿(ホテルフォルクローロ三陸釜石)にチェックインをし,夕食会場の「丸藤」,2次会会場の「味処 海舟」において,海よりも深く懇親を深めた。宴会では,東北の海の幸山の幸を肴に,日本酒の四合瓶が卓上を飛び交っていたので,大いに地域経済に貢献したはずである。また,所属部である11部以外の諸先生とも様々なお話(震災問題以外も,という意味)をすることができた。

さらに,3次会も開催されたようであるが,早寝早起きをモットーとするわたくしは2次会で失礼をした。

~2日目(平成28年12月5日月曜日)~

起床時間,朝食時間は各自にお任せであった。朝1番に朝食会場に行ったつもりであったが,既に中城重光先生が朝食を召し上がっていた。わたくしは図々しくもお隣の席に座らせて頂き,今ひとつ存在が捉えきれない関弁連について稚拙な質問をさせて頂いたが,中城先生はすべてに気持ちよく応えてくださった。その後,9時20分の出発まで時間があったので,三陸鉄道(南リアス線)釜石駅で,東京の書店では売っていないであろう本やご当地グッズを購入したりした。

9時20分にバスに乗車して,繰り返し報道されている大槌町に移動し,大槌町役場との意見交換会を行った。その後,昼食会場の三陸花ホテル「はまぎく」に移動して昼食(ボリューミーでした)をとり,今度は大槌町公民館吉里吉里分館に向かった。ここは,井上ひさしの長編小説「吉里吉里人」で有名になったところである。大槌町役場との意見交換会分館では,吉里吉里地区避難所のスライドショーや,NPOの方の講演,大槌高校の教員の講演,大槌高校復興研究会(定点観測などを行っている)との意見交換会などが行われた。この中で印象的であったのは,高校卒業によって進学や就職で町を離れる高校生達の「大槌町に帰ってくる。」「大槌町に貢献したい。」という力強いコメントであった。おそらく震災がなければ,高校卒業と同時に町を出て,「ふるさとは遠きにありて思うもの」であったのではないか。しかし,震災によって,今まで意識してこなかった地域の繋がり,人の繋がりを感じ,自分が生まれ育った町の大切さを感じたことが,このようなコメントにつながったと思う。

その後,夕方の渋滞の中,新幹線に乗れないのではないかとドキドキしながら新花巻駅に向かい,18時42分新花巻駅発のやまびこで盛岡駅まで行き,19時13分盛岡駅発のはやぶさで帰路についた。夕食は,新幹線内で,盛岡駅で購入した各種駅弁の中から早い者勝ちでお好みのものを選択した。また,東京駅に着くまでの間,再び日本酒の四合瓶が飛び交い,さらにさらに懇親を深めた。

~参加してみたいと思っている方へのQA

上記において,日記風に2日間の行程を御報告したが,「参加してみたいけど・・・」と思っている方が疑問や不安に思っているであろう事について,わたくしなりのQ&Aを書いてみたい。但し,あくまでも1回だけ参加したという経験に基づく,私見なので,この点はご容赦を!

Q:震災関係の特別な法律知識が必要ですか?

A:必要ではありません。法律相談を目的にしているわけではないからです。わたくしも,全くと言って良いほどスキルを持っていない分野でしたが,特に困ることはありませんでした。

Q:準備が大変なのではありませんか?

A:集合時間に遅刻しないで来るだけの能力があれば大丈夫です。一部の先生方の多大なるご尽力のもと,重厚かつ詳細な旅程ができており,あとはこれに従って行動すれば大丈夫です。

Q:経済的負担は大変ではありませんか?

A:全期世代には,交通費に関して公式に法友会から経済的なフォローがあります。

Q:呑み会で,アルハラはありませんか?

A:飲酒の強要などはありません。2次会,3次会の参加も自由です。実際,2次会に参加されない方もいましたし,わたくしも3次会は参加しませんでした。しかし,これによって気まずくなるなどと言うことは全くありませんでした。

Q:参加して良かったと思いますか?

A:盛り土や,護岸などという形で「復興」が行われていましたが,その町の景色はどこか異質な印象を受けました。被災地の方々も「復興」に関する受け止め方は様々でした。これは,現地で,見て,聞いて,感じなければ無理だと思います。また,参加者の方々(弁護士以外も含む)と2日間色々なお話をすることで,「絆」が深まりました。以上より,参加して良かったと思いますし,また参加したいと思います。

以上,思いつくままにQ&Aを書いてみました。

以上