~仲裁合意と妨訴抗弁~

5部69期 山本 暢明

1 はじめに

 皆さんは、仲裁合意に基づく妨訴抗弁(文献や判決書には「防訴抗弁」と表記するものもあるが、本稿では「妨訴抗弁」に統一したいと思う。)というのをご存じだろうか。
 仲裁法第14条1項には「仲裁合意の対象となる民事上の紛争について訴えが提起されたときは、受訴裁判所は、被告の申立てにより、訴えを却下しなければならない。」と規定されており、これを引用する形で契約書が作成される。
 仲裁合意に関する裁判例が複数存在することからすると、仲裁合意が利用されている場面は少なくないようであるが、そもそも、裁判手続きを利用しない旨の合意であるから、裁判で争点となることは珍しいのではないだろうか。
 仲裁合意が利用されている場面としては、渉外案件や請負契約が多い傾向にある。しかし、先日、一般的な建物明渡等を求めた裁判において、仲裁合意の主張が争われた事件を受任することになった。
 同期と一緒に対応した事件であるが、皆さんに紹介したいと思う。

2 事案の概要

 事案の概要は次のとおりである。まず、A社がマンションの一室(以下「本物件」という。)を購入し、不動産管理を業とするY1社との間で賃貸借契約を締結した。
 その後、A社はX(当職らの依頼者である。)に本物件を譲渡し、Xは本物件における賃貸人の地位を承継した。なお、Y1社はY2(個人)に本物件を転貸していたが、無断転貸ではないのでこの点は争点となっていない。
 Y1社が約3年にわたり賃料を滞納したことから、Xは、Y1とY2に対し、未払い賃料の支払いと本物件の明渡しを求めて提訴したところ、Y1は「仲裁合意」の存在を理由に訴えの却下を求めた。
 実は、A社とY1社との間で取り交わされた賃貸借契約書の中に、「仲裁合意」の条項が存在し、当事者間で発生した紛争については、裁判ではなく一般社団法人日本商事仲裁協会(以下「仲裁協会」という。)の商事仲裁規則に従うものとする旨の取り決めがなされていたのである。
 Xは、A社・Y1社間の賃貸借契約を引き継ぐ形で本物件を譲り受けたことから(XとY1社との間において取り交わされた「確認書」が存在する。)、Y1社は前記のような主張をしたのである。

3 商事仲裁規定について

 仲裁協会の商事仲裁規定については簡単な紹介にとどめるが、請求額の10%程度が管理費用として必要となること、仲裁人の報酬金として1時間当たり5万円程度が必要となることなど、一般的に民事裁判、民事調停などの紛争解決手段に比べて高額な費用が必要となる(当然のことながら、前記費用に弁護士費用は含まれていない。)。
 詳細は仲裁協会のホームページをご覧頂きたいが、渉外案件等には有益な制度と思われる一方、建物明渡請求などに利用することは想定されていないと思われる。
 ただ、本件では、賃貸借契約書の中に仲裁合意が盛り込まれていた上、同様の事例(日本国内における建物明渡請求)において、仲裁合意の存在を理由に訴えを却下する判決が存在することも事実である(東京地判令和3年9月29日判例秘書登載)。
 そのため、本件に仲裁合意がなされていたことに違和感を覚えながらも、かかる合意が存在する以上、本件においても厳しい結果が予想された。

4 裁判例の紹介と本件の結末

⑴ 裁判例の紹介

 全ての裁判例にあたったわけではないが、本件類似(建物明渡等請求事件)の裁判において、X(以下、類似の裁判も含め、原告側を「X」、Y1社に該当する相手方を「Y1社」とする。)から①消費者性の主張と②信義則違反ないし権利濫用の主張がなされることが多い。
 消費者性の主張については、仲裁法附則第3条2項が「消費者は消費者仲裁合意を解除することができる。」と規定していることが根拠となる。
 もっとも、Xが複数の賃貸用不動産を保有していることなどから、消費者性が認められない事例が多く、前記東京地判令和3年9月29日も、X(個人)が同時に2つのマンションを購入していたことなどから、Xの消費者性を否定し、仲裁合意における解除事由はないとした。
 また、②信義則違反等の主張についても、確認書(本件でもそうであるが、賃貸人の地位を承継するにあたり、XとY1社との間で仲裁合意条項のある原賃貸借契約を引き継ぐ旨の確認書が交わされている事案がほとんどである。)にXの署名捺印があることや、原賃貸借契約書に疑義があれば確認することができたはずであることなどを理由にXの主張を排斥するものがあった(横浜地裁川崎支部判決令和3年12月22日。令和3年(ワ)第235号)。
 以上のように仲裁合意の存在により、Xの訴えを却下する事案が存在する一方、最近になって、消費者性および権利の濫用を認め、Xの請求を認容する判決が出た(東京地判令和4年1月31日。令和3年(ワ)第3721号)。
 このケースは、X(個人)が複数の物件(同一建物内の居室2室)を所有していたものの、賃貸用不動産の購入自体は初めてであったことなどから、Xの消費者性を認定した。
 また、Xが仲裁合意の内容等について、相手方から具体的な説明を受け、これを理解していたとは認められないこと、Y1社は業としてサブリース事業を展開しているのに対し、Xはあくまで個人であるところ、仲裁合意の存在を理由に訴えの却下を求めることは権利の濫用にあたると判示した(このケースでXは、信義則違反ではなく権利濫用の主張をしていた。)。

⑵ 主張の骨子と裁判結果

 以上の裁判例を分析し、本件では、消費者性と権利の濫用を主張して争う方針とした。準備書面では、消費者契約法の「消費者」および「事業」の趣旨に照らし、Xが不動産を購入したことは「事業」には該当しないことから、Xは「消費者」として仲裁合意を解除できることについて、本件の事実関係を丁寧に拾って主張した。
 また、仲裁制度の概要(仲裁協会は国際取引における仲裁を目的としているものであること、高額な費用を予納する必要があることなど)や日本には民事調停、あっせんなど簡易迅速かつ安価に紛争を解決する制度が充実していることから、紛争解決の手段を仲裁のみとすることに合理性がなく、事実上、賃貸人の賃料請求権を無力化ならしめるものであり、これを主張することは権利の濫用にあたるなどと主張した。
 Y1社は代理人を就けていなかったこともあり、裁判は予想以上に長期化したものの、権利濫用の主張が認められ、Xの勝訴となった(なお、判決書では消費者性については触れられなかった。)。

5 さいごに

 紙幅の関係上、駆け足で進めてきたが、以上が仲裁合意に関する事案の紹介である。
 お気づきの方もいるかもしれないが、本件および類似の裁判例で出てきたY1社はすべて同じ会社であり、A社が同じという事例もあった。
 あくまでも私見ではあるが、おそらく、A社とY1社の間でこのようなスキームが出来上がっており、XがA社から賃貸物件を取得してから一定の期間が経過した後、Y1社において意図的にXへの賃料支払いを止め、転借人からの賃料収入を独占する形を作っていたと推測される。また、仮に、Xが提訴した場合には、仲裁合意の存在を主張することで、事実上、紛争解決手段の制限を意図していたものと思われる。
 実際、本件においてY1社は、裁判所から釈明を求められているにもかかわらず、最後まで本案(未払い賃料)に対する具体的な主張をすることはなかった。このことからも予め仲裁合意による訴えの却下のみを狙っていたのではないだろうか。
 副業として不動産賃貸を始める方も多いと思うが、既に締結された賃貸借契約を承継する場合には、十分な注意が必要であることを認識させられた事案であった。
 また、これまで多くの契約書を確認してきたが、依頼者の多くが個人または国内企業であったことから仲裁合意の条項を目にしたことはなかったこともあり、非常に勉強になった事案でもあった。一緒に受任させて頂いた同期にも感謝したい。

以上