2024年度被災地訪問(能登・金沢)報告
12部49期 深澤岳久(災害対策復興支援委員会委員長)
令和6年10月13日から15日にかけて、法友会災害対策復興支援委員会の主催・企画のもと、能登被災地訪問が行われた。参加者は、法友会会員24名、港法曹会会員1名の総勢25名であった。
能登地方では、令和6年1月1日に地震が発生し(令和6年能登半島地震)、さらに、9月には豪雨災害が発生している。今回の訪問は、これらの災害の痕跡が生々しい状況下で実施されたという点に特色がある。
10月13日(1日目)
初日は、まず、のと里山空港で集合し、輪島市、珠洲市を訪問した。
輪島市では、まず、地震後の火事により焼失した朝市通り、地震により横倒しとなったビルを視察した。
次に、輪島市役所を訪問し、災害対応にあたった職員との意見交換会を行った。そこでは、被災者の生活再建となりわいの復興それに復興街づくりが計画の三本の柱であること、輪島塗の仮設工房を設けたこと、現在不足しているのは土地で未利用の平地が無いこと、見守り支援で孤独死を予防していること等についての説明があった。
珠洲市では、飯田町で、地震により店舗が全壊した書店を訪れ、店主から営業再開に関する話等をうかがった。
その後、珠洲市ホースパークにおいて、現地に拠点をもつ上場会社の役員、現地で活躍する災害リスクコミュニケーターの講演が行われた。
前者の方は、地震発生前に東京から珠洲市に移住し、地震発生後は被災地支援活動に尽力している。その講演では、頻繁に安否確認の連絡が入ったことによりスマートフォンのバッテリーが消耗して電池切れとなったというエピソード、「X」(旧ツイッター)でのフェイクニュースがあったこと、どの集落に何人孤立しているかの確認に電話やメールを使ったこと、避難する意思がない方への対処や水を運搬した経験、内閣府防災の実情や災害救助法の在り方等について説明があった。
後者の方は、地震発生後直ちに被災地に入り、被災地の状況をYouTubeで紹介するといった活動を行っている。その講演では、ニュース性がないとマスコミに取り上げられないし、上手くいった例も取り上げられないといったこと、能登では祭りの際に知人を家に招いてもてなす「ヨバレ」という伝統があることから避難所の方が居心地がいいという被災者もいること、サプライチェーンが能登地方内で完結しているので能登で被災すると農家・漁師、加工業者等が共倒れになること等について説明があった。
10月14日(2日目)
2日目は、能登町、七尾市、金沢市等を訪問した。
能登町では、まず、町議会議長の案内のもと、松波地区を視察した。その後、能登町役場において、復興支援課職員との意見交換会が行われた。そこでは、職員から、全町民へのアンケートをしたこと、高齢化と人口減少が震災で拍車がかかってきたこと、水害・土砂災害をどう復興計画に織り込んでいくかが課題である等について説明があった。
次に、能登町にあるリゾートホテルを訪れ、地震による建物の損傷状況を視察し、支配人から地震発生当時の状況等をうかがった。
七尾市では、一本杉通り仮設商店街を視察した。ここでは、喫茶店店長、ろうそく店店主から地震発生後の商店街の状況等について話をうかがった。
10月15日(3日目)
3日目は、金沢弁護士会館において、金沢弁護士会所属の弁護士、金沢でフランス料理店を営むシェフの講演が行われた。
前者の弁護士は、地震発生当時、輪島市に事務所を構えていた。その講演では、被災者が高齢化していること、家屋が売れずに押し付け合いになっていること、地震と豪雨の二重被災における罹災証明に関して問題があること、仮設住宅の入居期限が短いことや公費解体期限が短いこと等についての指摘があった。
そして、士業が被災者にできることとして、発災直後からの無料電話相談、制度説明会や法律相談会の開催、災害ADRの実施やその申立てサポート等、自然災害ガイドライン(被災者ローン減免制度)の手続支援、災害関連死の審査委員の輩出、現地調査や立法・行政への働きかけ(声明・要望発出、首長面談等)、プッシュ型(かけつけ型)連携相談支援の実現といったものを挙げていた。
後者のシェフは、地震発生直後から被災地で炊出し等の支援活動にあたっていた。その講演では、避難所に物資が届いても誰に権限があるのかはっきりしないことで放置されていたこと、被災地で調理を行うためにキッチンカーを備えておくべきであること、被災者が被災地を離れることに消極的なのは自らがその地で死ぬと決めていることといった話があった。
今回の訪問により、地震と水害の二重被災による被害は深刻であり、復興に時間がかかっていることから、被災者への支援は緊急かつ重要であるとあらためて認識した。
以上