ペットの法的地位に対する考察

2部48期 渋谷 寛

1 ペットに関する訴訟提起

 令和7年8月4日、東京地方裁判所において、入院中の動物病院での火災によりペットが死亡したことに関する損害賠償請求訴訟を提起しました。
 本件は、飼育していた愛犬が動物病院で手術を受けた後、入院中に発生した火災により死亡したという事案です。原告である飼い主は、動物病院を経営する獣医師から誠意ある説明や謝罪がなかったことなどを理由として、慰謝料の支払いを求めています。

 仮に、入院中の患者が火災で死亡したのが人間の子であれば、重大な社会問題として扱われることでしょう。しかし、死亡したのがペットである場合、法律上ペットは「物」として扱われるため、人と同様の扱いを受けることはできません。
 果たして、これでよいのでしょうか。飼い主にとってペットは単なる愛玩動物ではなく、しばしば「家族の一員」であり、場合によっては我が子以上に大切な存在と感じていることもあります。入院中のペットが火災によって突然命を失った場合の飼い主の精神的苦痛は、極めて深刻です。

 法律上、犬や猫などのペットは動産、すなわち「物」として扱われます。しかし、動物には命があり、感情や感覚を有し、飼い主との間で一定の意思疎通を行うこともできます。飼い主は、世話を怠ればペットが飢えや病に苦しみ、最終的には死に至ることを理解し、その責任を自覚した上で深い愛情を注いでいます。
 にもかかわらず、法的には「物」としてしか扱われない現状は、社会通念や国民感情と著しい乖離があるといえるでしょう。

2 ペットに関する裁判例の変遷

 戦前の裁判例の中にも、ペットが関係するものが見られます。明治45年1月13日の東京控訴院判決では、飼い犬が自動車にはねられた事案につき、500円の損害賠償が認められました(物的損害の賠償にとどまり、慰謝料は否定)。
 当時はペットに対する精神的苦痛の賠償という発想自体が一般的ではありませんでしたが、すでに財産的価値を認めた先駆的判断といえます。

 その後、昭和36年の「犬猫裁判」(東京地裁昭和36年2月1日判決・判タ115号91頁)は、飼い猫が隣家の犬にかみ殺された事件です。裁判所は、飼い主夫婦が子のように愛情を注いで飼育していた点を詳細に認定し、両名に対し慰謝料各1万円(計2万円)の支払いを命じました。
 この判決は、裁判所が初めて「飼い主の情愛」を考慮し、精神的苦痛を認めた重要な判断と位置づけられます。

 さらに昭和43年の事案(東京地方裁判所昭和43年5月13日判決、判例タイムズ226号164頁、判例時報528号58頁)では、犬の出産時における獣医師の過誤をめぐり、慰謝料を含む損害賠償を認める判決が出されています。裁判所は「原告には実子がなく、当該犬を狩猟用かつ愛犬として飼育していた」ことを考慮し、財産的損害と精神的損害を合わせて5万円の賠償を認めました。

 このように、従来「物」として扱われてきた動物に対し、精神的損害賠償を認める裁判例は、すでに60年以上前から存在しているのです。
 現在の慰謝料相場は、事案にもよりますが、獣医療過誤訴訟では20万円から100万円程度が一般的であり、原告複数人での合計額が100万円を超える例も見られます。

3 名古屋高等裁判所の裁判例

 ペットの死傷が「物的損害」であっても慰謝料が認められる典型的な裁判例として、名古屋高裁平成20年9月30日判決(LLI/DB06320524)が挙げられます。
 同判決は要旨次のように述べています。

「近時、犬などの愛玩動物は、飼い主との交流を通じて家族の一員のような存在となっており、このことは社会一般に公知の事実である。かかる動物が不法行為により重傷を負った場合、飼い主が被る精神的苦痛は合理的な一般人も同様に感じる損害であり、財産的損害の賠償のみでは慰謝され得ない。」

 この判断により、「ペットは家族の一員であることが公知の事実」とまで認定され、現代社会におけるペットの法的・社会的地位の変化を明確に示したものといえます。

4 西欧と我が国の動物観の相違

 日本では、江戸時代の五代将軍徳川綱吉による「生類憐みの令」が知られています。殺生を禁じ、動物保護を掲げた法令でしたが、過剰な規制や重罰主義から理解を得られず、廃止されました。もっとも、近年では動物福祉の先駆的試みとして再評価する見解も見られます。

 日本文化には「人も動物も再び生まれ変わるかもしれない」という輪廻転生の思想もあり、人と動物の間に明確な断絶を設けない感性が根付いています。その意味では、「人のみが権利の主体であり、動物は客体にすぎない」とする現行法の構造は、必ずしも我が国の伝統的価値観と整合しないともいえます。

5 民法改正の必要性

 我が国の民法は、明治期にドイツ法・フランス法を基礎として制定されました。
 しかし、手本としたドイツ民法(BGB)では1990年に改正が行われ、「動物は物ではない」(§90a)との規定が設けられました。オーストリア、スイス、フランスなど他の欧州諸国でも同様の改正が進んでいます。

 一方、日本の民法では、依然として動物は「物」として扱われたままです。
 家族法が日本の文化的価値を反映して独自の発展を遂げたように、動物法制も我が国の価値観を反映してよいはずです。
 したがって、民法総則や物件の規定を改正し、「動物は物とは異なり、命と感覚があること」「動物に対する所有権は、動物愛護及び福祉の観点から制限を受ける」旨を明記すべきと考えます。

6 憲法上の根拠とその課題

 悪質なペットショップ等による動物虐待が社会問題となっています。
 動物愛護管理法の改正により規制は強化されてきたものの、業者には憲法上の「営業の自由」が保障されています。その制限には、公共の福祉に基づく合理的な立法事実が必要です。

 動物愛護の理念を憲法上どこに位置づけるかについては、幸福追求権(13条)や生存権(25条)を根拠とする見解がありますが、動物自身の権利保障にまで踏み込むのは容易ではありません。
 一方、ドイツ基本法は2002年にも改正され、「国家は、自然的生活基盤および動物を保護する」(20a条)と規定しました。
 我が国でも、動物愛護の理念を憲法上明記することは、将来的な課題として検討に値するでしょう。

7 最後に

 ペットは、単なる「物」でも財産的価値の対象でもなく、飼い主の人生に寄り添い共存する存在です。
 社会通念の変化を法制度に反映させることは、法律家の重要な使命の一つです。
 今後、立法・司法・行政が連携して、動物の法的地位を再構築することが求められています。